サウスイースト地区プレビューと全30チーム勝利数ドラフト——The Hoop Collective が語る今季の注目点
The Hoop Collective(2026年10月16日配信)でブライアン・ウィンドホーストがサウスイースト地区と勝利数ドラフトを語った。
Cousins with Vince Carter & Tracy McGrady(2026年9月30日配信)でアントワン・ジャミソンが語った
番組カズンズ
Cousins with Vince Carter & Tracy McGrady(2026年9月30日配信)でビンス・カーターがアントワン・ジャミソンを迎えた。
トレイシー・マグレディとともに、ノースカロライナ大学(UNC)での出会い、ディーン・スミスHCの指導哲学、ドラフト当日のトレード劇、NBA初戦でのチャールズ・バークレーの洗礼、ウィザーズ時代のレブロンとの死闘、コービー・ブライアントの練習への姿勢、そしてマイク・マローンHCの採用に関わった経緯まで、72分にわたって語り尽くした。
ジャミソンは高校ソフォモアの時点でトップ5にランクインしていたが、当時はソーシャルメディアがなく、他の有力選手の実力は噂でしか知ることができなかった。カーターについても「フロリダからすごく跳べるやつが来る」という話を耳にしていた程度で、実際にプレーを見たことはなかったと振り返った。転機はサウスカロライナ州マートルビーチで開かれたビーチボール・クラシックだった。この大会にカーターの母ミッシェルがジャミソンのもとを訪ね、UNCについて質問したことから会話が始まった。
「そこにミッシェルが来て「ヴィンスのお母さんです」って言って、カロライナに興味があるんですけど少し聞かせてもらえますかって」
— アントワン・ジャミソン [09:01]
ジャミソンはすでにUNCへの非公式訪問を4、5回重ねており、スミスHCやフォードACが自宅にも来ていた。カーターが合流すると「本当に運命だと思うよ。すぐに意気投合してさ、ふざけ合って笑って」と語り、ハイライト映像を手のひらで見られる今の世代とはまったく違う出会い方だったと強調した。カーターもジャミソンの3年生になる前のコミットを受けて、マートルビーチからチャペルヒルへ向かう道中で「特別なものを作ろうとしてるんだ」と勧誘を受けたと明かした。
UNCでのフレッシュマン時代について、マグレディが「競争意識はなかったのか」と尋ねると、ジャミソンは競争ではなく互いを高め合う関係だったときっぱり答えた。カーターがキャンパス到着初日の夜を振り返り、ジャミソン、アデモラ・オカラジャと体育館に行って「一晩中ずっとバスケしてた」と語ると、ジャミソンも「パーティーとかあんまりしなくて、ずっとジムにいた」と続けた。
「俺たちが一番心配してたのは、このフレッシュマンクラスがノースカロライナのバスケプログラムに傷をつけるチームになってしまうこと」
— アントワン・ジャミソン [13:04]
名門UNCの看板を自分たちの代で落とすわけにはいかないという使命感が、3人を結びつけていた。2年前にジェリー・スタックハウスとラシード・ウォレスがUNC史上初のフレッシュマン・スターターになっており、ジャミソンはカーターと出会った時点で「ラシードとスタックがまだいると思ってた」と語った。もし残っていればスタックハウス、カーター、ジャミソン、ウォレスが同時にコートに立つ布陣になっていたとカーターも驚嘆した。
スミスHCの指導についてジャミソンは、カーターのフロリダ仕込みのフレアを持つプレースタイルを「ここではそういうことはしない」と抑え込んだと明かした。カーター自身もフレッシュマン時代に「ほぼ転校を考えてた」と認めたが、ジャミソンはそれが結果的にカーターを長く活躍できる選手に変えたと評価した。
「振り返ってみると、それがあったから20年以上プレーできる選手になれた。適応する力がついたんですよ」
— アントワン・ジャミソン [16:00]
カーターは調子が良いときに限ってベンチに下げられたことが最もきつかったと振り返り、ホームのカロライナのコートでスミスHCへのブーイングを初めて聞いた瞬間を語った。それでも夏を越えて「あんなことは二度とない」とマインドセットが変わり、ソフォモア以降は飛躍したと述べた。一方でスミスHCの戦術面について、ジャミソンはNC State戦で残り約35秒・8点ビハインドからハドルで指示したプレーがすべてその通りに実現したエピソードを語り、「信じ始めるんだよ」とカーターも同意した。
ジュニア(3年)でのアーリーエントリーの決断について、マグレディが経緯を尋ねると、ジャミソンは「母さんと父さんは2つも3つも仕事をかけ持ちしてた」ことが最大の理由だったと語った。サンアントニオのファイナルフォーに家族が観戦に来るのも一苦労で、きょうだいは妹と弟の3人だった。ユタに敗れた試合のあと、ジャミソンはコートの床にキスをした。
「俺はコートの床にキスしたんだよ、正直に言うと戻ってくるかどうか分からなかったから。「この瞬間をしっかり噛み締めないと」って思って」
— アントワン・ジャミソン [25:57]
スミスHCも「ドラフト上位5位に入るなら大学に残る意味はない」と助言してくれた。ジャミソンはUNCでの3年間を「子供ができるまでの人生で最高の3年間」と表現し、もしNIL(名前・肖像・類似性の権利)制度があれば判断は変わっていたかもしれないと付け加えた。腰を落ち着けて考えたとき、「母さんは頑張りすぎてる」という思いが決定打になったと振り返った。
1998年のドラフトでジャミソンはゴールデンステイト(当時3位指名権)、ダラス(7〜8位)、トロント(4位)の3チームにだけワークアウトを実施した。エージェントから「マイク・ビビーが2位指名された後に落ち着け、トロントがトレードするかもしれない」と事前に聞いていた。トロントに4位で指名されると、母親は「トロントのこと何も言ってなかったじゃない」と驚いたが、ジャミソンはすぐにハグを促した。壇上でデイヴィッド・スターンから「そのハットはそんなに長くはかぶれないよ」と告げられ、直後にカーターとのトレードが成立した。
「「NBAへようこそ」だよな、それがNBAへの洗礼ってやつだよ」
— アントワン・ジャミソン [42:19]
カーターは階段を上がる最中にジャミソンからトレードの話を聞かされていたが、「転ばないように気をつけてた」ことで頭がいっぱいだったと笑った。両家の家族が慌てて帽子を被り替える姿を、カーターは「バスケットボールのビジネスを5分で叩き込まれた」と表現した。
ジャミソンのNBA初戦の相手はヒューストンで、チャールズ・バークレーとスコッティ・ピッペンがいた。第1・第2ピリオドは出番がなく、第3クォーター半ばにファウルトラブルで交代出場するとバークレーとマッチアップした。当時は5秒バックダウンルールがなく、バークレーにポストで圧倒されわずか2ポゼッションでベンチに戻された。
「2ポゼッションでTマック、俺はもうベンチに戻されて。払えてなかったんだよ。お袋が目の前に座ってて、「あれは私の息子じゃない」みたいな感じでさ」
— アントワン・ジャミソン [45:40]
さらにロックアウトで約50試合しかないシーズンにほとんど出場機会が得られず、「初めて自分のバスケの能力を疑った」と振り返った。カーターがスポーツセンターで「半分人間、半分すごい」と称えられる裏で、ジャミソンは「消えていくんじゃないか」と不安を抱えていた。そんなときカーターが電話で「自分のルーツを忘れるな」と励まし続けてくれたことが支えになった。3年目に連日51得点を記録した際、真っ先に電話をくれたのもカーターだったと感謝した。
マグレディがダラスでのシックスマン賞獲得後のワシントン移籍について尋ねると、ジャミソンはダラスでスティーブ・ナッシュ、ダーク・ノビツキー、マイケル・フィンリーから「スーパースターたちは共存できる」と学んだことが転機だったと述べた。ウィザーズではギルバート・アリーナス、カロン・バトラー、デショーン・スティーブンソンらとプレーオフに進出したが、4年連続でファーストラウンドのレブロン率いるキャブズに阻まれた。
「2年目か3年目かな、1年だけオールスターブレーク前の時点で最高勝率を記録した年があった。あの年こそ本当に「いけるぞ」って感じたんだよ」
— アントワン・ジャミソン [50:57]
しかし怪我が重なり、結局1回戦で敗退した。カーターが「若いレブロンのどこが厄介だったか」と聞くと、ジャミソンはレブロンのバスケットボールIQの高さを絶賛し、「大事な場面で必ずジャンプショットを決めてくる」と補足した。デショーン・スティーブンソンが最も手こずらせていたが、6フィート8インチのレブロンに対して「体が小さすぎた」と語った。
カーターが「コービーと一緒にプレーするのはどんな感じだったか」と尋ねると、ジャミソンはレイカーズ加入初日の衝撃を語った。いつも一番乗りで8時半に体育館に来るジャミソンが到着したとき、コービーはすでに朝5時からの自主トレを終えてアイスバスから出てきたところだった。
「入ってきたらコービーが出てきたんだよ、もう飲み物持って。「このやろう、アイスバスに入ってたのか」って思ったけど、あいつは朝の5時から練習してたんだよな」
— アントワン・ジャミソン [55:01]
当時のコービーはキャリア14〜15年目で、「もう一個リングが欲しい」という執念で1日2部練をこなしていた。アキレス腱を切った試合でもコートから離れたくなかったとジャミソンは振り返り、「勝利への執念は歴代最高のチームメートだった」と評価した。息子たちが「マンバメンタリティがある」と言うのを聞くと、「お前らに全然わかってない」と笑うという。
カーターがジャミソンのUNCマイク・マローンHC採用への関与を質問した。ジャミソンはクリーブランド時代にアシスタントだったマローンの「全員に対して責任を持たせるやり方」が際立っていたと語り、戦術面でもマローンの父親に指導を受けた経験から実力を確信していたと明かした。UNCのADスティーブ・ニューハウスから連絡があり、5人の委員会で候補者を面接した。
「連絡が来た時、なんか不思議な気持ちになってさ、スミスコーチとガターコーチが上から見守ってくれてるんだなって感じた」
— アントワン・ジャミソン [60:06]
マローンは当初「カレッジはドナー対応があるし」と渋ったが、バスケットボールの話で引き込み、コーチング・リクルーティング以外の業務は周囲が担うと説得した。ジャミソンはマローンについて「イーストコーストのメンタリティで責任をちゃんと取らせてくれる」と評し、UNCの柱を受け継いでいけると確信して採用を推薦したと述べた。
最後にカーターが「若い自分に何を伝えるか」と尋ねると、ジャミソンは「何も変えない」と即答したうえで、ただ一つだけ「もっとその瞬間を楽しめ」と伝えたいと語った。
「若い自分に何か言えるなら、もっと今この瞬間を楽しめばよかったって。結婚して子供ができたら自分の時間なんて全然なくなるから」
— アントワン・ジャミソン [65:45]
16年のNBAキャリアはあっという間で、引退後もコメンタリー、スカウティング、フロントオフィスと走り続けてきた。今は亡くなった友人たちのことも思い、「心の平和を大事にして、子供たちや家族との時間を楽しむことに集中してる」と語った。お気に入りのチームメートにはギルバート・アリーナスを挙げ、ゴールデンステイト時代のルーキーから成長を見届け、ウィザーズで再会した際はアイコンタクトなしでプレーが噛み合ったと絶賛した。アリーナスは試合終盤の1-4フラットで放ったシュートをリングを見ずに振り返るほどの自信の持ち主だったとカーターも驚嘆し、番組を締めくくった。
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