The Ringer NBA Showプレシーズン・パワーランキング最終回――上位5チームの全貌
The Ringer NBA Show(2026年10月16日配信)でプレシーズン・パワーランキングの最終回が届けられた。
The Old Man and the Three(2026年10月16日配信)でエイジェイ・ミッチェルが語った
チームサンダー

The Old Man and the Three(2026年10月16日配信)でマケインとミッチェルがNBAへの道のりを語った。
進行役のトミー・アルターがジャレッド・マケインとエイジェイ・ミッチェルの少年時代からドラフト当日までを掘り下げ、ホームスクーリングで育ったマケインの意外な過去、ウェンバンヤマとチームメイトだったミッチェルのヨーロッパ時代、そしてドラフト会場での予想外のハプニングが語られた。
マケインのバスケットボール人生は一直線ではなかった。中学時代はホームスクーリングで過ごし、7年生を留年してやり直している。高校に入った直後にCOVIDが流行し、残りの高校生活も自宅学習が続いた。バスケで身を立てる未来を描いていたわけではなく、本人はスニーカーの転売で生計を立てるつもりだったという。
「バスケで食っていくとは全然思ってなくて、プランBというかさ、スニーカーの転売で生きていくんだろうなって本当に思ってたよ。」
— ジャレッド・マケイン [06:55]
チームメイトもこの事実を最近になって初めて知ったという。転機になったのは高校1年のCOVID期だった。家族の友人で全米高校ポイントガードランキング1位だったデヴィン・アスキューの存在が、マケインに火をつけた。
「ずっとデヴィン・アスキューっていう家族の友達を見てたんだよね。高校のポイントガードランキング1位で、いつも張り合ってたし、彼のやることを何でも追いかけてた。」
— ジャレッド・マケイン [05:50]
アスキューを追いかけるように南カリフォルニアへ移り、本気でバスケに取り組み始めた。その後デュークに進学したが、当初は3〜4年在籍するつもりで、即ドラフトを狙っていたわけではなかった。USCやUCLAも訪問したものの、デュークを見た瞬間に「欠点が見つからない」と感じて即決したと振り返った。実際にプレーする中で、NBAが現実の目標に変わった。
「でもデュークでプレーし始めて、『これが俺のキャリアになれる、なれるはずだ』って思えてきた。」
— ジャレッド・マケイン [07:42]
願望が確信に変わったのは、デュークの実戦を通じてだった。
ミッチェルの育ちはマケインとは対照的で、ヨーロッパが舞台だった。14歳のときにテニス、バスケ、サッカーの中から一つを選ぶ必要があり、バスケ選手だった父の影響でバスケを選んだ。友人はみなサッカーをしていたため悩んだが、今でもサッカーに打ち込んでいればチャンピオンズリーグに出られたと信じている。
17歳のときにフランスのナンテールに渡り、ビクター・ウェンバンヤマと同じチームでプレーした。
「17歳のときにフランスに行って、同じチームになったんだよ。同じチームにいるなんて夢みたいだったよ。」
— エイジェイ・ミッチェル [01:40]
当時からウェンバンヤマは「別格」だったとミッチェルは振り返った。二人のツーショット写真がSNSに出回った際、チームメイトはAI加工だと思ったというやり取りも番組内で交わされた。
大学進学を目指す中で、U-16フランス代表でプレーしていたときにUCサンタバーバラのアシスタントコーチ、ジョン・ライリーから声がかかった。サンタバーバラが最初にリクルートしてくれた学校で、COVIDの影響でキャンパス訪問はできず、Zoomだけで進学を決めている。大学に入る前にはベルギーで1年間プロとしてプレーし、バスケで生計を立てられるという手応えを得ていた。
「俺はたぶんカレッジに入る前、プロとして最初の1年間をベルギーで過ごしたんだけど、そのときに『これで飯を食っていけるかも』って思ったんだよね。」
— エイジェイ・ミッチェル [08:14]
ただしベルギーからNBA入りした選手は極めて少なく、ミッチェルは「今いる場所で全力を尽くして、その後はどうなるか見てみよう」という姿勢を貫いた。大学で露出が増えてから「このゴールには確実に届ける」という確信に変わったと語った。
ドラフト当日の話は二人とも予想外の展開だった。ミッチェルのドラフトは2日間にわたって行われ、1日目はエージェントから「1巡目後半で指名される可能性がある」と聞いていた。ミルウォーキーが23位のピックを持っており、面談の感触がよかったこと、さらに姉がウィスコンシンに住んでいたことから、家族全員がミルウォーキー指名を期待していた。
「アダム・シルバーが『23位、ミルウォーキーは……AJを選択します』って言い始めた瞬間、部屋全体が『え、マジか!』ってなったんだよ。」
— エイジェイ・ミッチェル [09:19]
しかし続いて聞こえたのは「ジョンソン」という別の選手の名前だった。部屋は一転して気まずい空気に包まれ、ミッチェルは平静を装ったが心の中では動揺していたと認めた。1巡目が終わった時点で家族は怒り、姉は剣幕で詰め寄ってきたという。
翌日の2巡目でOKCのサム・プレスティがトレードアップしてミッチェルを指名した。契約は2ウェイ契約だったが、ミッチェルは気にしなかった。
「エージェントからは2ウェイ契約になるって言われたけど、そんなのどうでもいいよ、ドラフトされたいだけだって。」
— エイジェイ・ミッチェル [10:25]
一方マケインのドラフト当日も波乱含みだった。マイアミ行きを確信していたが指名されず、頭の中では「トロントに行ってドレイクと一緒になる」と切り替えた。フィラデルフィアにはワークアウトに行ったことがなく、コンバインの面接が唯一の接点だった。
「フィリーには一度もワークアウトに行ってないし、でも16位でコミッショナーが出てきて、エージェントが振り向いて『フィリーだ』って言ったから、マジかよって。」
— ジャレッド・マケイン [13:35]
何も食べずにコーヒーだけで過ごしていたマケインは体調も最悪で、テレビに映っている最中に席を立てないと焦っていたが、指名された瞬間にすべてが吹き飛んで泣いたと振り返った。
ミッチェルがOKCに合流した際の落ち着きぶりは、チームメイトの間で話題になった。2巡目指名の2ウェイ契約という立場ながら、練習初日から堂々とプレーしていたとシェイ・ギルジャス・アレクサンダーが証言した。普通ならソワソワするような場面で落ち着きすぎている人間がいると、すぐにわかるのだという。
「2巡目指名で2ウェイ契約でチームに入ってきて、練習でバリバリやってて、もしバスケのことを何も知らないコーチが練習に入ってきたら、こいつ何年もそこにいる選手だって思うだろうって感じだったよ。」
— シェイ・ギルジャス・アレクサンダー [11:14]
進行役のアルターは、この落ち着きぶりがギルジャス・アレクサンダー自身のプレースタイルに通じると指摘し、出演者たちも同意した。シュートを外した場面でさえ「完全に慣れている」「プレーの仕方がわかっている」とチームメイトに感じさせるほどだったという。
ミッチェル自身はOKC加入当初の緊張を隠さなかった。勝ちにいくチームで自分を証明しなければならないプレッシャーがあり、試合に出られるかどうかもわからなかった。しかし試合が始まると気持ちが切り替わったと語った。
「OKCに行った最初はやっぱり緊張したよ、勝ちにいくチームだし、自分を証明しなきゃいけないし、面白いよな、試合に出られるかも全然わからなかった。でも試合が始まったら、これってただのバスケじゃんって感じになってた。」
— エイジェイ・ミッチェル [12:38]
ヨーロッパでの経験やベルギーでのプロ生活を経て、どこに行っても素早く適応する力が身についていた。ルー・ウィッグスら同じプロセスを経たチームメイトの存在も支えになったとミッチェルは語った。2ウェイ契約から始まったOKCでのキャリアは、場所や契約形態が変わっても「ただのバスケ」として向き合える姿勢に支えられている。
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